転職

理学療法士の魅力を再考
他職種を経たから気づくコト。

インタビュイー: 林雄李さん
インタビュアー: 舩津康平

理学療法士のフィールドの広さは魅力だ。

今日は林さんが、理学療法士になるまで、そしてなってから考えてこられた事をお聞きします!
これまでの苦悩や理学療法士になるまでの仕事と理学療法士になった後の、仕事の価値観の変化とかですね。

お願いします。

特にストレートで理学療法士になった人は、PTの魅力に気付いてない点があるかもしれないので、改めて魅力に気付ける記事になったらいいなと思ってます。
では早速なんですけど、遡って中学生とか高校生の頃に、何を考えていたかについてです。どう進路を選んでいったのかなと気になっています。

将来こういう仕事に就きたいなっていうのは、あんまり正直考えてなくて。 でも、なんですかね。当時は安定した仕事に就きたいなと思っていました。

安定は大事ですからね。

僕は調理師の免許が取れる高校に進学をしましたが、入学してから調理の道の厳しさを目の当たりにして、調理ではなく安定した仕事に就いて”自由に生活したいな”って漠然として考えていた時期はありました。

経済的な安定があって自由な生活が送れればいいなぐらいの感覚だったということですね。調理師の免許を実際に取られたんですか?

取得はしました。その後、進学せずに就職しました。

最初は何の仕事をされたんでしょう?

当時、自動車業界の給料が良く安定していると情報がありましたので、その情報だけで自動車関連の会社に就職しました。
自由を求めて、とりあえず就職して給料はもらった分を使うという生活でしたね。 

自動車工場では実際にどんな仕事されてたんですか。

入社して、生産管理部というところに配属されて、工場で作られた製品の納入調整などをしていました。

あ、車作る側じゃないんですね。 具体的な数字はあれですが、本音を言えば経済的には良かったんですか?笑

そうです。 自動車メーカーなどに対して部品の納入や管理をする部署でした。格安(家賃、電気、水道料込みで1.0~1.5万円くらい)の寮生活だったので、出費が少なく、当時は自由に使えるお金としては、多いかなと感じていました。

高卒とはいえ独身で支出も少ないと結構貯まりますよね。 その状態で結構仕事は充実していたんですか?

仕事は2年目くらいまでは、1人で仕事をするというよりも、先輩の補助として簡単な仕事をさせてもらうという感じでした。出社して一通り仕事をして退社…の繰り返しで「働くってこういうことか」みたいな感じでした。なのであまり多くの充実感はなかったですね。ただ、できなかった仕事ができるようになったときは、充実感を感じていたと思います。

なるほどですね。3年間働いて、そこから何か転機となることがあったんですか?

社会人2年目に東日本大震災がありました。その時、会社も休業になって僕も1週間くらい休みました。東日本大震災が一つの転機かなと、振り返ると思います。 地震発生直後は当時勤めていた会社もかなり揺れていてニュースを見てみると、東北の方だったので、これはすごい大きな地震なんだなと思いました。

それが結果的に仕事を変えることに影響したんですか?

はい。地震から数週間は地震関連のニュースが多く流れていたと思います。僕もそのニュースをずっと見て、何か役に立つことはないかなと考えました。

日本中が自分にできる事はないかと考えた時期でしたよね。

当時、将来に対して悩んでいた時期でもあり、震災を目の当たりにしてこのままでいいのかな?と考えるようになりました。考えた結果、この先後悔が少ない選択をしたいと考え、何かの役に立てる仕事に就きたいなという考えを持ちました。

1週間で結構いろいろと考えることがあったんですね。すぐにやりたいことって見つかったんですか?(ここで理学療法士かな?)

基盤となったのはやはり誰かの役に立てたらいいなという思いでした。子どもが好きだったので保育士、元々スポーツもしてたのでスポーツトレーナーとかそういった仕事を最初は視野に入れて情報収集をしました。

なるほど。それ以前は仕事に対して、「経済的な安定とかそれを利用して自由な生活を送りたい」っていう気持ちが強かったのが、3.11をきっかけに「人の役に立つ仕事をする」のが優先になった!?

東日本大震災をきっかけに、自分中心や自由に生活したいという考えから、誰かや何かのためにできる仕事があったらそっちがいいなという考えにシフトしました。

そこで医療系や福祉系とか保育士を含めて考えられたということですね。今、実際に理学療法士をされていると思うんですけど、多くある人の役に立つ仕事で理学療法士を考えたきっかけはあるんですか?

まずは保育士とかスポーツトレーナーという視点で仕事を探してたんですけど、関連する職種として理学療法士が出てきて、その内容に”小児理学療法”とか”スポーツ理学療法”といったワードがあり、理学療法士が幅広い分野で働けることを知りました。あと、同級生が理学療法士の学校に通っていたので、理学療法士に絞って学校を探してみようと考えました。

理学療法士のフィールドの広さが一つ魅力だったということですね。気になったんですが、そのタイミングで林さんの周りにも仕事を変える人っていたんですか?

周りにはいなかったですね。

人一倍、人の役に立ちたいっていう気持ちが前面に出てきたってことですよね。そもそも高校生ぐらいから人の役に立つことに価値を感じる元々の性格がおありになったんでしょうか?

元々の素質はないと思います。東日本大震災をきっかけに、自分の中で何かの役に立ちたいという思いが芽生えた感じがします。

なるほど。僕はあんまり考えずに理学療法士になったんですけど林さんは相当悩まれたでしょう。。

悩みました。まず学校に入ることができるか、留年せずに卒業できるか、国家試験に合格できるか、就職できるかなど不安はたくさんありました。

大きな決断ですね。
次は養成校についてお聞きしようと思います。PTの養成校に入るには会社も辞めないといけないし、学校によっては引っ越さないといけないですよね。具体的には、PTの養成校に入る時どんなアクションをされたんですか?

情報収集です。資料請求をしてパンフレットを見たり、オープンキャンパスに行ったりしました。通学しやすいところなのか、学費などは細かく調べました。

ここはリアルな話ですよね。学費はどう工面していたんですか?

入学金や授業料は自分で出せる範囲で出しましたが、それ以外は親に工面してもらいました。生活費は奨学金の活用やアルバイトをしてやりくりしていました。

今って、20-30代の人でも貯蓄0の人が多いって言いますよね。もし貯蓄が0だったら養成校に行っていましたか?1年間でも自分で出せた方が親の工面とか奨学金の返済額が変わってきますし、無理してでも行ったほうが良いのかどうなのか。ここは参考になると思うので。

もし貯金が0だったら貯めてから行ったかもしれないです。入学金や授業料は決して安くないと思いますので、決して無理をすることはないと思います。ただ、様々なことを考えると少しでも若い(早い)方がいい気がします。

養成校も増えて学校ごとの魅力はあると思うんですが、それよりも家からの近さを重要視したんですか?

金銭面を考えて親戚のところから通えるところにしました。1年間は親戚の家に居候させてもらって通学しました。

なるほど。あと養成校選びでは、教員も大事だと思います。3年もしくは4年を通じて教員とコネクションを作ることを念頭に入れて入学した人の充実ぶりってすごいと思うんです。この教員とのコネクションという卒後の付加価値を含めて考えると、先程の養成校選びの優先事項はどう変わりますか?

PROFILE

  • 林雄李さん

    高校卒業時に調理師免許取得し、自動車関連会社へ就職。

    約3年働いた後に理学療法士を志し、現在は福岡県内の急性期病院で勤務している。

    理学療法士として臨床・研究と広く活躍している。