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看護・リハビリテーション・社会福祉のサービスを経営する理学療法士の思考法を聞いてみた

インタビュイー: 瀬尾徹さん
インタビュアー: 舩津康平

「王道を行く」ことが軸である

筑豊地区で訪問看護ステーションや運動療育センターを起業・経営している瀬尾徹さんにお話を伺います。
そもそもなんで理学療法⼠になったのかお聞きしていいですか。

⽥川で⽣まれ育ったので、この地域に勤めたい、仕事は何でもいいと思っていました。医療職なら確実にこの地域で仕事できるなと考えたわけです。職業を考える上でも元々、即決するタイプなんで、⾃分の思いが決まったらそこにもう突き進むだけって考えを持っています。

そのベースの考え⽅ってこれからお話聞いていく事業の軸になっているんですか?

僕が「これが軸だな」と思うものは、リハビリ訪問看護ステーションすばるっていう所で働いていた時に社⻑からもらった言葉ですね。それは「王道を⾏け。」という言葉です。王道っていうのは誰からも応援される道のこと”です。みんなに求められていることとか、みんながして欲しいなとか世のため⼈のためになることが王道なんです。だから⾃分の中で迷ったときは、王道を行くようにしています。僕が事業をして、「みんなに応援されるかな」とか「皆が助かるかな」とかを軸にやっていますね。意思決定するときはそれを軸にやっています。

まず理学療法⼠になってから、リハビリ訪問看護ステーションすばるに就職されたんでしょうか?

病院に5年いたんですよ。5年ひと区切りと思っていたから5年経って、やっぱり筑豊地区で働きたいっていう気持ちが強かったんです。地域医療をやりたいわけじゃなくて、理学療法⼠5年⽬の⾃分がこれからの5年間でどこで⼀番成⻑できるかなと思ったときに選んだのがリハビリ訪問看護ステーションすばるでした。

そして起業を考え始めたんですね。

当時は起業するという感じではなくて、代えの利かない社員になろうと思っていて。組織の中で色んな仕事をしていました。PTになって10年目の節目の時期に起業や教員、再度スペシャリストを目指すとか選択肢を多く持てるように意識していましたね。

割と思っていた通りになってきたと。そこからどうキャリアを考えていったんですか?

⼀応いろんな選択肢はあったかなと思うんですけど。5年⽬に⾃分だったら地域にこんな訪問看護ステーションを作りたい、まずはそこですかね。⾃分だったら看護もリハビリもバリバリにしたかった。そこで24時間365⽇応えるためには、ある程度⼤規模化しなくちゃいけないっていう頭が最初からあったんですね。なのでそういうステーションを⾃分だったら作るなと。⼈⽣1回しかないからやろうという気持ちで会社を始めたんですよ。

起業は地域にどんなものがあったら良いかという考えから始まったんですね。

そのときはもう地域包括ケアの中これからの⼈⼝動態がどうで、⾼齢者がどうなるとか、よく勉強会が盛んにあっていました。訪問看護ステーションだけじゃもう2030年ぐらいまでに、尻すぼみになってくるだろうから、⾃分としては多機能化して会社として選択肢を持てるように色んな事業をしたいなって思いながら始めましたね。キャリアとしてリーダーを育成し任せることで多店舗展開できる。新規事業以外はプレーヤーはせず、決断とリーダーのサポート役に徹する。そうすれば、携帯1個で社⻑できますからね。

話の流れで社長仕事の話に入っていきましょう。携帯1個で社長をできるイメージがつかないです、、、。

もはや僕はマネジメントにも特化してなくて、決断に特化していると思います。CEOになると報告連絡相談だけですよね。だから僕はもう携帯電話があればどこでも仕事ができるなと思っていますね。もう全然僕のところには新規の相談すらないですよ(笑)

へえ〜。だとしたら瀬尾さんの1⽇ってどうなっているんでしょうか。平均的な1⽇が忙しそうですね。

一日中したいことしています。携帯電話があれば、電話もかかってくるしLINEの報告もありますけど、「これはこうして」と指⽰を出せるじゃないですか。指⽰と言ってもある程度の権限は渡しているから「了解です」とかです。時々迷うときに「これはどうしたらいいですか」と連絡が来ますけど、それすらも渡さないと事業は増やせないと思います。管理者がそれぞれにいれば、どんどん次のことできるじゃないですか。

いつ頃からそういう決断に特化した感じになっていったんですか。

最初からじゃないですか。もちろん最初はプレイヤーもしていたんですけど、得⼿不得⼿があるじゃないですか。僕は事業を始めるときから、⾼校の先輩に手伝ってもらってます。どういうことを⼿伝ってくれたかと言うとその⼈はある施設の社会福祉⼠で、特定施設の事務⻑をしていたんですね。要は事務に⻑けている仕事ができる⼈を誘ったんですよ。事務作業はしたらできると思うんですけど、決断する⼈とそれを実⾏する⼈に分けた⽅が良いっていう考えが元々あります。「俺にそれさせたらもったいないよ(笑)」みたいな意識があったから、もう最初からCEOとCOOで分けて始めているんです。

なるほど。訪問看護ステーション立ち上げの時、戦略としては何を考えていたんですか?

田川地区は訪問看護ステーション激戦区なのでイメージとしてはリハビリもするけど看護バリバリというイメージを付けたかったです。あと当時、⼩児がなかったので小児まで診る訪問看護ステーションです。

⼀番最初に訪問看護ステーション作りたいとなった時、筑豊地区のお⺟さんから希望があったと聞きました。サービスを始めるにあたって、何を大事にするかは地域の課題が最初に来てるんですか?

地域の課題だったり、あとは「こんなサービスがあったらいいよね」と思うことをしたい気持ちが強いですね。あとはその理学療法⼠の職域拡⼤っていう働き⽅の拡充みたいなことを意識しています。理学療法⼠と他の領域を掛け合わせることです。

「こんなサービスがあったらいいよね」っていうのは、住⺠側の⽬線で考えたときにですか?

住⺠側の⽬線から考えて始めたものもあるし、⾃分が考えて始めたこともあります。

両方なんですね。

例えばですね、さっき⾔った重症⼼⾝障害児のデイサービスは、住⺠のお⺟さんたちから「お願いですから作ってください」と⾔われて始めたことです。確かに医ケアのある重症心身障害児を対象としたデイサービスは当時、筑豊地区にはあまりなく地域の事業所間の競争を生み出す為にも私がするべきだなと思いました。また、理学療法⼠の⾃分がするべき事業だと思って始めたものもあります。
「運動療育センターりはなす」というのをやっていて、そこのコンセプトは運動を通して色んなものを育むことです。そんな放課後デイサービスって絶対にあるといいなと思ったんですね。これは、筑豊にはなかったので誰かに要望を⾔われたわけじゃなく自分から始めたものです

PROFILE

  • 瀬尾徹さん

    2006年 理学療法士免許取得
    2006年 西野病院 へ入職
    2011年 リハビリ訪問看護ステーションすばるへ入職
    2016年 りはなす訪問看護ステーションを起業