- インタビュイー:立石聡史さん
- インタビュアー:舩津康平
第2回:股関節鏡理学療法の専門家への道のり
今、理学療法士の業界で「股関節理学療法といえば立石さん」というイメージがあると思いますが……。
いや、それは多分ないと思いますよ(笑)。他の分野と比べて、まだ発展途上の部分が多く残っているのが股関節理学療法の特徴ですね。いろいろな病態がありますが、自分が携わっている股関節唇損傷は絶対数が少なくて、まだ発展しきっていないというのが正直なところです。
なるほど。確かに私の理解も浅かったかもしれません。でも、股関節唇損傷の理学療法なら立石さん、という印象は強いです。それには、何か狙いやビジョンがあったのでしょうか?
理学療法士3年目ぐらいのとき、「県士会の研修会で講演できるようになりたい」と思っていました。若松病院に来てスポーツ整形に携わったとき、肩や膝はすでに先駆者がごまんといたんです。誰も先駆者がいないのが股関節でした。だから、これから発展するなら股関節だと思って、のめり込んでいきました。
戦略性を持って取り組んでいたんですね。
股関節唇損傷の理学療法は当時、評価項目すら先行研究がなく、本当にゼロからのスタートでした。だから「自分はもうここしかない」と思って、「ここをやります」と宣言したのが始まりです。
今では標準になっている評価や介入もなかったんですね!
ほぼありませんでした。どう評価するかも定まっていなかったので、「こういう機能も見た方がいいんじゃないか?」とか、他に検証された項目があれば、それを取り入れてバージョンアップしていくような感じでした。
股関節唇損傷の理学療法を始めてから、目標としていた講演ができるようになるまで、何年かかりましたか?
若松病院に来てから5年くらいで、県の学会で講演させてもらえるようになりました。
整形外科の先生の期待に応えながら、研究活動もされていたわけですが、どんな生活だったのか気になります。
僕は家に仕事を持ち帰るタイプなんです。何かやっていないと不安になる(笑)。だから、睡眠時間は4〜5時間くらいですね。
当時は教科書もなかったと思いますが、股関節唇損傷の勉強はどうやってされたんですか?
最初は本当にうまくいかなかったですね。インプットは限られた文献を読むくらい。初期の変形性股関節症の患者さんへの理学療法を参考にし始めたら、うまくいき始めました。
他の施設の理学療法士に相談されたりもしていたんですか?
当時、股関節唇損傷を診ているのは東京や京都ぐらいしかなくて、そういった施設にはよく連絡を取っていました。今はスポーツ整形学会などで情報収集もしやすくなりましたが。
今ならSNSですぐ連絡できますが、当時はどうしていたんですか?
直接、その施設に行って「臨床を見学させてください」とお願いしていました。実際の臨床を見ることで、技術的な要素が一番よく分かりますから。だから、若手にはどんどん外に出ていってほしいと思います。その方が相手の記憶にも残りますしね。
Profile
立石聡史さん
学歴
2005年: 吉備国際大学 保健科学部 理学療法学科 卒業
職歴
2005年: 福岡新水巻病院 入職
2011年: 産業医科大学若松病院 入職
主な資格
運動器認定理学療法士
運動器理学療法専門理学療法士
