- インタビュイー:立石聡史さん
- インタビュアー:舩津康平
第1回:20年のキャリアの原点 〜リハ職が信頼を得るということ〜
股関節唇損傷の理学療法分野でトップランナーとして活躍する、産業医科大学若松病院の立石聡史さん。あまり多くを語らない方ですが、これまでのキャリアや、これからの運動器理学療法についてインタビューしました!
FUree worKUではこれまで、独立した方や異分野に転職された方へのインタビューを多く行ってきました。一方で、病院で働く理学療法士のトップランナーのお話を聞くのも非常に貴重な機会です!
立石さんって、現在理学療法士になって何年目ですか?
20年目ですね。
最初から、現在所属されている産業医科大学若松病院(以下、若松病院)だったんですか?
最初は地域の別の急性期病院に6年間いて、それから今の職場に入職して、もう13〜14年くらい経ちました。
若松病院が開院するタイミングで来られたんですか?
スポーツ領域の理学療法をやりたかったんですが、受け皿が限られていて。それが新しく若松病院で立ち上がると聞いて、応募したんです。当然ですけど、引き抜きとかそういうのではないです(笑)。
若松病院が股関節治療に力をいれていくという情報は知っていたんですか?
知っていました。その情報だけは持っていて、就職できる保証はなかったですけど、運良く配属されて、患者さんを診るようになった感じですね。ちょうど若松病院が立ち上がるタイミングでした。
勇気のいる決断ですね。最初、若松病院の理学療法士は何人だったんですか?
4人です。今と患者数やオペの件数はほとんど変わっていないのに、それを4人で毎日診療していました。
今では考えられないですね。
当時は本当にしんどかったです。夜の8時くらいまで診療していましたし、入院患者さんのリハも、外来も、夜まで対応していました。
職員数からすると、今の5倍大変だったということですね。
—— ここから整形外科の先生との関係性について ——
整形外科の先生は、最初は怖かったですか?
怖かったというより、信頼されていなかったですね。スポーツリハに強い理学療法士が入るまでは、全然信用してもらえてなかったです。
信頼してもらうために、徐々に変えていったんですか?
医師のフィールドにこちらから足を運ばないといけないので、手術見学もかなりしていましたし、診察の見学にもよく行っていました。時間が空いたら診察室に行って、「自分の担当している患者さんを一緒に診ていただけませんか?」とお願いしていました。
私には、なかなか勇気がいりますね……。
そういうところで、やる気をアピールしていました(笑)。あとは、共通認識が大事です。一人の患者さんについて、「どこが問題なのか」「どういう治療をお互いしているのか」を共有する。そういう場をこちらから積極的に作っていきました。医師のフィールドに行かないと、まず認めてもらえないですから。
私も病院勤務ですが、そこまでできていませんでした。反省です……。
勇気を振り絞って行く場面、ありますよね(笑)。「お前なんでいるんだよ」とか言われたりもしました。当然、冗談ですけどね。
そういうことを繰り返して、だんだん信頼を築いていったわけですね。
特にスポーツ整形の分野では、医師とコミュニケーションを取って、同じ方向を向かないと、患者さんが一番不利益を被りますからね。オペでないと治らないと思っているのか、リハビリで治ると思っているのか。その認識を合わせることが重要です。
病院内の整形外科分野で、自分のポジションを築く際の参考になりますね! 立石さんも最初から医師と対等に話せたわけではなかったんですね。
もちろんです。当時の先生には、何度も怒られていましたよ(笑)。今、おいくつですか?
20代後半です。ちょうど同じくらいの時期ですね。私も病院内でそうやって動いていこうと思います。
Profile
立石聡史さん
学歴
2005年: 吉備国際大学 保健科学部 理学療法学科 卒業
職歴
2005年: 福岡新水巻病院 入職
2011年: 産業医科大学若松病院 入職
主な資格
運動器認定理学療法士
運動器理学療法専門理学療法士
